京都、東山の朝は、いつも静かに始まる。
街全体が呼吸を整えているような、そんな静けさが好きだ。
今日は仕事の手を少しだけ休めて、古門前通をふらりと歩いてみることにした。
工房の前の暖簾をそっと上げ、火を落とし、金床に一礼して外へ出る。まだ空気はひんやりとしていて、白い息が少し残る。
通りには、ひと気のない骨董屋の前にだけ、ほのかに灯りがともっていた。
無造作に並べられた木製の引き出しと、剥がれかけた古い価格札。
どこかの誰かが大切にしていた時の痕跡が、ひっそりと並んでいる。
その前に立ち止まると、不思議とこちらの背筋まで伸びる。
白川沿いを抜けて、祇園新橋へ。
石畳の上に射す斜めの光と、格子戸の影が交差する。
通りすがりの舞妓さんがこちらをちらりと見て、目礼をしてくれた。
あの所作だけで、この町に流れている時間の質がまったく違うのだと感じさせられる。
手の中には、茶店で買った熱い番茶の紙カップ。
湯気が上がるたび、炭のような香ばしさと、土のような安心感が立ちのぼる。
どこからか、金槌のかすかな音が響いてきた。
たぶん、どこかの職人がすでに仕事を始めているのだろう。
私はその音に誘われるように、小さな裏通りへと足を向ける。
町家の軒先に吊るされた風鈴が、わずかに揺れて音を立てた。
ふと見上げたその瞬間、空はまるで、研磨前の金属のように鈍い青。
それでも、朝日が当たる部分だけはきらりと光っていた。
まるで削り出した杢目金の表面のように。
帰り道、古門前通の細い路地の奥で、猫が日なたを見つけて丸まっていた。
見覚えのある顔だ。工房の前にもたまに現れるやつだ。
「おかえり」と言われたような気がして、私は小さく笑って、また工房へ戻った。
火を入れる。金属の匂いが、また鼻腔を満たす。
トン、トン、と金槌を振ると、不思議とさっきの白川の水音と重なった気がした。
この町は、日々が“工芸”そのものなのかもしれない。
何気ない風景も、さりげない所作も、すべてが層をなして、日常の杢目模様を描いているようだ。
今日もいい散歩だった。
✍️ 文・高田邦雄(杢目金職人/京都東山にて)