—10年前のあの日、あの指輪からすべては始まった—
静かな石畳の道に朝の光が差し、金床の音が響くとき、私はいつも、あるご家族のことを思い出します。
それは、今からちょうど12年前の春のことでした。
はじまりは、娘さんのひとこと
その日、工房の扉を開けて入ってきたのは、お父様と、20代半ばほどの娘さんでした。
「こんにちは、父と一緒に来ました。結婚指輪をお願いしたくて…」
はにかむように話す娘さんの背後で、お父様はやや不器用そうに会釈をしてくれました。
後に聞いた話では、この日ここに来るまで、娘さんは何度もお父様に「一緒に選んでほしい」とお願いしていたそうです。
「母が他界してから、父とちゃんと向き合ったことがなかったんです。でも…結婚を機に、父ともう一度向き合いたくて」
そう語る彼女の目には、どこか懐かしい温度が宿っていました。
親子で模様を選ぶということ
杢目金の指輪には、何種類もの模様があります。まっすぐ流れる柾目(まさめ)、渦を巻いたような渦杢(うずもく)、そして斑紋のような玉杢(たまもく)。
ふたりは並んでベンチに座り、それぞれの模様をじっと見つめていました。
娘さんは「この模様、ちょっと不規則で…でも、それが面白いですね」と玉杢を手に取り、
お父様は「これはまるで木の年輪みたいだな」と、渦杢を見つめていました。
最終的にふたりが選んだのは、異なる模様の組み合わせ。
新郎新婦が選ぶ指輪の模様が違うのは珍しいことではありませんが、
このとき私は、この模様の違いこそが、親子の歴史そのもののように感じたのです。
「指輪を渡すのは、父にお願いしたい」
その後の製作は、私がいつも通り、手仕事で一層一層を積み重ね、火を入れ、叩き、削り、丁寧に仕上げていきました。
ですが、彼女からのあるひと言が、私を驚かせました。
「実は結婚式当日、私からじゃなくて、父から夫にこの指輪を渡してほしいんです。
“これから娘をよろしく”って言ってくれたら…私、それだけで安心できる気がするんです」
その願いは、見事に叶えられました。
結婚式の映像を後日送っていただきました。
照れくさそうに、でもまっすぐ目を見て「頼むぞ」と言って指輪を差し出すお父様。
涙をこらえながら受け取る新郎。
そして、その様子を見守りながら、そっと手を胸に当てていた娘さん。
この瞬間のために、私は指輪を作ったのだと、そう思いました。
10年後、再び工房へ
10年後の春、一本のメールが届きました。
件名は、「またお願いできますか?」
本文にはこう書かれていました。
「10年前に父と一緒に指輪をお願いした◯◯です。
実は、来月、子どもが生まれる予定なんです。
記念に、同じ模様で、ネックレスをお願いできたらと。
父も、また一緒に行こうかって言ってくれていて。」
あのときの親子が、また私の工房に足を運んでくれる。
それは、職人としてこの上ない喜びでした。
そして再び訪れたおふたりは、10年前と変わらず、静かに模様を見つめながら、言葉少なに未来の話をしてくれました。
選ばれた模様は、あのときと同じ渦杢と玉杢の組み合わせ。
小さな命に向けて、かつての絆を、もう一度繋ごうとしている姿に、私はこっそり目頭を押さえました。
木目金とは、時間を閉じ込める技術である
木目金の指輪には、模様があります。
でもそれは単なる装飾ではなく、人と人とが過ごした時間を象(かたち)にするものだと、私は思っています。
ふたりの人生が重なり、揺らぎ、変化しながらひとつになっていく。
その様を、金属の層に閉じ込めていくことが、私の仕事です。
だからこそ、家族の節目に、木目金がそっと寄り添えることが、何より嬉しいのです。
おわりに
10年前のあの日、父と娘が並んで選んだ模様が、今も家族を繋いでいる。
その指輪は、時間とともに輝きを増し、いままた、新しい物語を刻もうとしています。
もし、あなたにも家族との思い出や、これから歩む未来に寄り添う「かたち」が必要であれば、
どうぞ、静かな工房を訪ねてみてください。
火と槌と手だけで作られた小さな指輪が、
いつか、大きな絆の証となることを、私は信じています。
✍️ 文・製作:髙田邦雄